高山右近資料館 ギャラリー・ジュスト

能登にでかけてまいりました。

前回の記事でご紹介いたしましたが、昨日、素晴らしい天候のもとで、「金沢市立図書館読書会連合会」と言う集まりの主催によります「文学散歩」というものに
講師として同行させていただきました。

行き先は志賀町にあります高山右近記念公園と右近の記念の塚、七尾市の本行寺、最後に高岡市古城公園でした。朝9時から出発し、5時過ぎに金沢に戻ってくるという強行軍でした。しかし、参加された皆様も実りある時間を過ごしていただけたようで本当に良かったと嬉しく思いました。

志賀町での高山右近記念公園近くにあります「右近記念の塚」は、本当はスケジュールには無かったのですけれど、せっかくだからということで出かけてまいりました。静かな人里離れた場所にひっそりと建つ右近を記念する塚を前にして皆様は息をのむと言うのか、400年以上も累々とひっそり守られている塚を見つめておられました。せっかくですので塚の前で「主の祈り」をお祈りしてまいりました。

七尾市にあります本行寺では滞在時間がとても少なかったということで、御住職がとても熱心にキリシタン関係の様々な物をご説明してくださいました。館長が頼んだからと称して、普段は見せない
「秘仏」、「聖画」などを拝見することが出来ました。また、右近が最後に書いた細川忠興宛の書状の原本をも見せていただき、右近のただならぬ覚悟に圧倒されました。いのちがけで信仰を守り通した人の覚悟です。何か問題があるとすぐに文句ばかり言う者たちにとっては、右近の生きざまは耳が痛いという以上に心に問われることばかりです。

この様に、本行寺さんが切支丹の遺物を所有されているということは同時に大切に保管をしてくださってもいることなのですから、本当は散逸してしまう様な物であっても一つに集められているということはとても感謝なことです。県外の皆様で本行寺に言って見学したいという方がおられましたなら館長までご連絡ください。館長と本行寺の時間が合えばご案内いたしますよ。

494

写真はその高山右近の記念の塚のものです。
緑に苔むした小さな三角の屋根が付いたものがそれです。ここに右近の遺骨があったなどと色々な方が何も知らないでネットで発表したり本に書いたりしていますけれど、本当は遺骨はフィリピンにありますからここにあるはずがないのです。むしろ最も武士であった高山右近の記念の物とするならそれは遺髪ではなかったかというのが館長の考えです。

501
次の写真は本行寺にある高山右近の像です。青年時代の高山右近をモチーフにしています。

534
最後の写真は石の表面に刻まれた十字架の刻印です。これは高岡城の石垣が高岡市立博物館の玄関わきに置かれていたものですけれど、金沢城にある石垣の刻印とは明らかに異なる文様です。金沢城での刻印はまだキリシタンになった者が少ない時代に運ばれてきた石ですから、各家に割り当てられた分だけが分かるための刻印でしかなかったでしょう。しかし高岡城を築城する時にはすでに加賀藩には相当量のキリシタンたちがいたのですから、その中でも特にこの十字架紋を刻印した家はだれかと言うことが当時の人には分かった人物の運んできた石なのだということですね。

調べれば調べるほど新しい調べなければならないことが誕生してまいります。
歴史は面白いですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です