高山右近資料館 ギャラリー・ジュスト

7月3日の新聞記事について

7月3日に発行された「北國新聞」の「時鐘」というコラムの中で大変重要な誤りが少なくとも2点ありましたので、そのことを北國新聞をお読みになっておられる皆様にお伝えしようと思います。実は、決して北國新聞を批判するつもりなど毛頭ないのですが誤りは誤りであると伝えた方が良いのではと思い、ブログに掲載することにしました。

もちろん、北國新聞社にも連絡をさせてもらいました。

まず、記事内では「仙台藩が派遣した天正少年使節」とありました。残念ながら仙台藩が派遣したのは「天正少年使節」ではありません。この使節は支倉常長が副長として日本を離れた「慶長遣欧使節」です。出発したのは1614年です。高山右近が金沢を追放されたのも1614年です。

次に、その使節を欧州で案内した宣教師が高山右近の時代に金沢にいて活動していた記載されていますが、それも間違いです。この遣欧使節と行動を共にしていたのが「ルイス・ソテロ」という人物です。彼はフランシスコ会宣教師です。そして、高山右近時代に金沢にいた宣教師はバエサ神父とトレルス神父です。このトレルス神父が金沢に来る前にこの天正少年遣欧使節の案内をヨーロッパで行っていたとされています。トレルス神父もスペインの貴族の出身ですから同じスペインの出身の「ソテロ」と混同しているのではないでしょうか。

かつてヨーロッパの人々を驚愕させた「天正少年使節」をトレルス神父が案内していた、そしてその人が金沢にいたということです。

決してソテロ神父ではありません。

 

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