高山右近資料館 ギャラリー・ジュスト

「高山右近たらしめているもの」

19日の土曜日、ギャラリーでは久しぶりの企画を実施いたしました。
「高山右近たらしめているもの」と題してお話の時を持たせていただきました。

高山右近は初めから高山右近だった訳ではなくて、色々な経験を通してそうなっていったということです。
どんな事が彼に起こったのかというと、彼がまだ若かった時に、彼にとっては主筋にあたる人物を刀で大怪我を追わせた事がありました。その結果、その人物はしばらくして絶命してしまったのです。同じく、彼自身も生死をさ迷う重症を負いました。そのことから、人の命を奪わず大切にいきていく事を学んだのです。

もう一つは、彼が高槻城の城主であったとき、その時の高山右近が仕えていた荒木村重が織田信長に謀反をしたことから、高槻城に信長が攻めて来たことでした。信長は城を明け渡さねばキリシタンや宣教師を殺害すると脅しました。つまり、高山右近の方に彼の家族、彼の領民、キリシタンたちの命がかかるということになったのです。彼は10日間、神に祈ります。出てきた答えは全ての人の命を助けるため、己の命を捨てようと決断して信長の前に出たのです。信長はこの姿勢にいたく喜び、家族や領民、キリシタンの保護を約束しました。物事がうまくまわらないような事があっても、神の手に委ねるという信仰の思いが強く芽生えたのてす。

これらの経験から、彼は命を大雪にして戦に出ても戦わずに命を守る行動を終止し、平和を求める歩みをより強く歩き始めたのです。

ところが、豊臣秀吉の「バテレン追放令」により、結果的に逃亡生活の困難さのため、次男を豊後の国大友家に預けました。
その後、彼はこの事が大きな心結の痛みとなって行ったのでしょう。金沢に残る習慣の一つに、ひな祭りの時には「金華糖」を飾りますが、これはポルトガルの昔の習慣で、初めて子供がミサに出て聖体を頂いたことをお祝いし、教会から砂糖菓子がプレゼントされたそうです。その砂糖菓子の背景はポルトガルでと金沢でもとても共通した思いがあります。子供の成長を神に感謝するということです。右近も野地に金華糖を見るごとに次男の事を思っていたことでしょう。

そんなお話を皆さんにさせていただきました。
1時半の部と4時の部で、合計11人のお客様がお越しくださり、皆さんで右近饅頭をも賞味して時を過ごしました。
ご参加くださいました皆様、有難うございました。

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